日々是雑雑

アイドル話、私生活、政治、陰謀論、子育て、音楽について などなど ちょーざっしょく。

田舎の人間は民度が低い

どうも〜〜

 

田舎に住んでる嫁です。( ^ω^ )

兼業農家の嫁です。

 

さて、タイトルの通りの内容です。

どうして田舎の人間は民度が低いんでしょうか…。

 

私の住んでいる土地は、2chでもよくとりあげられる治安の悪い場所です。

引っ越してきた当初に驚いたことは「肥満が多い」「交通マナーが悪い」「なんか頭悪そうな人が多い」の3本仕立てでした。

 

  • 肥満が多い=我が体調のコントロールもできないほどの民度の低さ
  • 交通マナーが悪い=ウィンカーは曲がるときにあげるのが通常。
  • なんか頭悪そう=人の生き様は外見に出る。

 

まあ、引っ越してきて数年経った今では若干慣れたことですが、

身内(義家族)まで民度が低いのはいただけません。

 

義父の場合

とにかく沸点が低い。ほうれんそう(報告連絡相談)ができずコミュニケーション能力が著しく低い。人への説明がとにかく下手(ご近所の奥さんもたまに苦笑いしている)、そのくせ突っ込まれると怒り出すので何がしたいのやら。

そのときの感情に任せてあれやこれやと言うが(「せんでええ」)、数日経つと同じことを怒り出す(「なんでしないんや!」)。一度言った言葉は自分の言葉になるのよ、と誰かに諭して欲しい。

田舎からろくすっぽ出たことがない一人っ子の長男様のため、人間社会に馴染めていない模様。ちなみにここ数年で5回ほど転職しており、その点からも、沸点の低さとコミュニケーション能力の低さがうかがい知れる。

ちったあ社会の荒波に揉まれた方が良い。(いや揉まれた結果飲み込まれて転職してんのか)

 

義母の場合

唯我独尊、気が強い。私は全知全能の神であり私が言うことは全て正しいのである。おまけに頭もよく機転もきき人にも好かれておる、私は別に好きじゃないんだけどね、やだ〜困っちゃう〜。そんな人。

義父よりかはまだ話ができるが、いかんせん自我が強すぎて話が進まないことがある。要所要所で「私は人よりちょっと特別」感を出してくることがあり、話題の5割が「私は〜〜だけどな」と自分の話へと置き換えられる。とにかく自分が好き。

「夏は暑くてご飯が一口も食べられないのよ〜(わりと食べてる)」「人の顔が覚えられなくって〜向こうは覚えてて手を降ってきたりするんだけど〜(多分向こうもそうだと思うよ)」などなど、義母語録は日々追加されている。

 

義祖母の場合

なんせ戦時下を生きてきた人である。おそらく我が家で一番の働き者であり、その点”だけ”は素直に尊敬できる。

外っつらの良さには定評あり、「お世話になります」「お元気ですか」の言葉は録音してボタン押してんじゃないのかと思うほどスムーズに出てくる。しかし家の中では人様の一句一言に対して揚げ足をとり、挙句「あの人も悪い人じゃないんだけどね〜」「あまり大きい声では言えないけどね〜」など建前をつけるあたり、元の性格は女特有のねちっこさが強いと思われる。

よその家での葬式のあとはやたらと元気になり、「〜さんもいなくなってしまった、私はまだかねえ」「毎日、お仏壇様に両手合わせて早く連れてけってお願いしてるんだけどねえ」と葬式饅頭を頬張りながら義母と話している。しばらくは、くたばる気配なし。

昔の農家特有の長男教のため、未だに我が息子(義父)を「〜ちゃん」付けで呼んでいる。そんな育て方をするからコミュニケーションがとれなくなるのだよ、あんたの息子は。

 

3人まとめて

とにかく議論ができない人たちだなという印象。昔特有の「根性、努力」でどうにかなると思っているようで、農作業における不効率・無駄な部分をどうにかしようなんて改善意識は全く見られない。

一般的な社会ではある程度のスケジュールを組むものだが、スケジュールを組むということを知らないようである。また著しくコミュニケーション能力が低いため、”他者との意識のすり合わせ”ができずによく突っ走っている。

絵にかいたような「大黒柱」「長男教」のため、対話のできない義父に対して誰も突っ込まない。どうやらこの人たちに「効率の良さを高める」という概念はないようで、「努力と根性で義父に従う」のが正しい方法らしい。

 

なんで民度が低くなるんだろう

田舎では物事の変化がないため、やはり頭の回転というか、スピードが違うなと思わされる。人間の数が圧倒的に少ないのだ。

人が多いと、それぞれに合わせたコミュニケーションをとることになる。初対面で一からコミュニケーションをとる相手もいるだろうし、それなりの付き合いになる相手もいるだろうけど、とにかくコミュニケーションをとる相手も機会も多い。

それはつまり、会話のたびに相手との距離感を推し量ったり、言葉を選んだり、仕事上であれば大人数でスムーズに回すための連絡を重視したり、行き違いがないような細かな配慮が必要になる分、頭もフル回転になるということだ。

 

ところが、田舎はどうだろうか。

毎日決まった相手との会話だけである。ほぼ家族。あと畑の先でちょっと立ち話する近所のおばちゃん。たまに顔をあわせるおじさん。犬。その程度である。

今更距離感を推し量ることもなく、なんの変化もない日々である。議論立てて話すこともない。会話の内容は、天気・野菜の具合・近所の噂話、その繰り返し。

そら頭使わねーわな。

 

 

将来、自分の子供は田舎に住ませる?

自分の子供はまだ小さいのだけど、大きくなったら、必ず一回は外の世界を体験させるつもりだ。都会に出てもらってもいいだろう。若者特有の楽しみ方もあるだろうし、人間関係で揉まれることもあるはず。

何より、田舎では見えない視点を得ることができる。時代はもう21世紀なんだから、田舎にももう少し「効率」という概念が入ってきていいはずだ。

せめて自分も、それまでは田舎脳にならないように頑張ろう。

 

結果

ご近所さんの中には、経験値も豊富で対話もできる人もいるので、田舎の全てがクソだというわけではない。しかし、少なくとも我が家はくそだと言える。断じて言おう、くそだ!

 

田舎に越してきて、私も沸点が多少低くなった。

なんというか、民度の低い地域に入ると、自分も民度が低くなるようである。

ちょっと悲しい…こういう「郷に入れば郷に従え」は嫌だ。